「察しろよ」「察っしてよ」を卒業しませんか?
2016年01月13日
いろんな方のブログを
読んでると
身近な人との
コミュニケーションを
うまくやってくことで
幸せになる方法を
提案されてることが多くって
その中でも
最近気になるキーワードが
「負ける」 とか
「委ねる」 とか
「降伏する」 とか。
私なりに解釈(の一つです)してみると
苦手なことは無理せず
お願いしてみて
その
「やり方」に関しては
相手の自由に任せて(委ねる)
ラクーに生きる
ってことが
幸せに生きるコツなんだろうなと
感じてます。
* * *
人って、実は
自分の「やり方」にこだわる人が
多いなって思ってて
例えば
私のやりたくない家事NO1
洗い物
を例にあげると
たまーにお願いして
だんなさんにやってもらうと
するじゃないですかー。
すると
・洗い残しがあったり
・食器や鍋が違う場所に
片づけられてたり
コチラが期待した通り
やってもらえなくって
イライラしたことって
ありません?
頭では
せっかくやってくれたんだから
文句言わないでおこう!
と思っているのに
口から出るのは
非難めいた言葉、、、
自分の「やり方」にこだわって
期待通りできてないと
わたし
不機嫌・イライラ
↓
「相手に文句」
夫
せっかくやったのに
文句言われてイライラ
↓
「もう2度とやるもんか」
わたし
↓
結局、自分がやることになり
「なんで私ばっかり」という
不満がつのる負のスパイラル
*
確かに
自分のいいと思う
「やり方」通りに
相手もやってくれると
助かるし、ありがたい。
けど、
そんな風に
やってもらえるようになるには
(育てるともいう)
結構なコミュニケーション量が
必要。
自分が
こんな風にやってほしいという
「やり方のルール」が
相手に上手に
伝わっていないことも
多いと思うから。
コミュニケーション量が
不足したまんまなのに
こんなことくらい
察してよ
という気持ちが根底に
あったりするから
相手を責める気持ちが
湧いてきちゃう。
でね。
やっぱり毒舌に
なっちゃいますけど、
「察してよ」 は 「甘え」だ と
思うのです。 私。
夫側の「察しろよ」も「甘え」だ と思います。
日本という国は、この
気持ちを察したり
行間を読んだり
空気を読むこと が
素晴らしいとされてきた文化で
「察っして動ける人」が
評価されてきたように
思うんです。
でも
それって、
言葉という道具を
介してないから
やっぱり難しくって、、、
結局この
「察しろよ」(夫側)
「察してよ」(妻側) が
不和の原因になったりしてると
思いませんか?
でね。
もし、ご主人に
その通りやってほしければ
相手に察してもらうのを
期待するのではなく
その通りやってもらえるように
言葉を使って、伝え方を
工夫してみる ってことが
大事だと思うのです。
↓ ↓
過去記事
「夫への気持ちの伝え方」です。
良ければ参考にしてください。
モチロン
逆もしかり。
夫側もです。
今日たまたまお読みのお父様方
考えてみて下さいね。
で
それが無理だったら
結婚式の上司の祝辞で
よく使われるこの一文
結婚してからは
「片目をつぶる」
お願い事をした時に
どんな「やり方」をするかは
相手に任せる
委ねる
で
感謝しとく。
じゃないと、結局
ぜーんぶ自分ですることに
なったり(妻側)
妻の不満が溜まり溜まって
突然爆発して後悔したり(夫側)
しちゃうと思う。。。
「委ねる」でうまくいく って
そういうことかな~と思います。
「えーっ難しい~」と思った方は
自分のために
おしゃべりしたり
プチ贅沢したり
自分のココロを
満たす状態を心がけることで
心も体もほっこりゆるんで
委ねやすくなりますよ(*^_^*)

あ
溜め込んでいた気持ちを
整理したくなったら
コーチングもお忘れなく~(^.^)
読んでると
身近な人との
コミュニケーションを
うまくやってくことで
幸せになる方法を
提案されてることが多くって
その中でも
最近気になるキーワードが
「負ける」 とか
「委ねる」 とか
「降伏する」 とか。
私なりに解釈(の一つです)してみると
苦手なことは無理せず
お願いしてみて
その
「やり方」に関しては
相手の自由に任せて(委ねる)
ラクーに生きる
ってことが
幸せに生きるコツなんだろうなと
感じてます。
* * *
人って、実は
自分の「やり方」にこだわる人が
多いなって思ってて
例えば
私のやりたくない家事NO1
洗い物
を例にあげると
たまーにお願いして
だんなさんにやってもらうと
するじゃないですかー。
すると
・洗い残しがあったり
・食器や鍋が違う場所に
片づけられてたり
コチラが期待した通り
やってもらえなくって
イライラしたことって
ありません?
頭では
せっかくやってくれたんだから
文句言わないでおこう!
と思っているのに
口から出るのは
非難めいた言葉、、、
自分の「やり方」にこだわって
期待通りできてないと
わたし
不機嫌・イライラ
↓
「相手に文句」
夫
せっかくやったのに
文句言われてイライラ
↓
「もう2度とやるもんか」
わたし
↓
結局、自分がやることになり
「なんで私ばっかり」という
不満がつのる負のスパイラル

*
確かに
自分のいいと思う
「やり方」通りに
相手もやってくれると
助かるし、ありがたい。
けど、
そんな風に
やってもらえるようになるには
(育てるともいう)
結構なコミュニケーション量が
必要。
自分が
こんな風にやってほしいという
「やり方のルール」が
相手に上手に
伝わっていないことも
多いと思うから。
コミュニケーション量が
不足したまんまなのに
こんなことくらい
察してよ
という気持ちが根底に
あったりするから
相手を責める気持ちが
湧いてきちゃう。
でね。
やっぱり毒舌に
なっちゃいますけど、
「察してよ」 は 「甘え」だ と
思うのです。 私。
夫側の「察しろよ」も「甘え」だ と思います。
日本という国は、この
気持ちを察したり
行間を読んだり
空気を読むこと が
素晴らしいとされてきた文化で
「察っして動ける人」が
評価されてきたように
思うんです。
でも
それって、
言葉という道具を
介してないから
やっぱり難しくって、、、
結局この
「察しろよ」(夫側)
「察してよ」(妻側) が
不和の原因になったりしてると
思いませんか?
でね。
もし、ご主人に
その通りやってほしければ
相手に察してもらうのを
期待するのではなく
その通りやってもらえるように
言葉を使って、伝え方を
工夫してみる ってことが
大事だと思うのです。
↓ ↓
過去記事
「夫への気持ちの伝え方」です。
良ければ参考にしてください。
モチロン
逆もしかり。
夫側もです。
今日たまたまお読みのお父様方
考えてみて下さいね。
で
それが無理だったら
結婚式の上司の祝辞で
よく使われるこの一文
結婚してからは
「片目をつぶる」
お願い事をした時に
どんな「やり方」をするかは
相手に任せる
委ねる
で
感謝しとく。
じゃないと、結局
ぜーんぶ自分ですることに
なったり(妻側)
妻の不満が溜まり溜まって
突然爆発して後悔したり(夫側)
しちゃうと思う。。。
「委ねる」でうまくいく って
そういうことかな~と思います。
「えーっ難しい~」と思った方は
自分のために
おしゃべりしたり
プチ贅沢したり
自分のココロを
満たす状態を心がけることで
心も体もほっこりゆるんで
委ねやすくなりますよ(*^_^*)

あ
溜め込んでいた気持ちを
整理したくなったら
コーチングもお忘れなく~(^.^)